退職エントリ

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「〜ので、〜ので」を使うな

最近「〜ので、〜ので」を見かける回数が増えてきましたね。

 

「〜ので、〜ので」とは何か

「〜ので、〜ので」をご存じない方のために説明しますと、「〜ので、〜ので」とは、理由と結果をつなぐ役割をもつ接続助詞の「ので」を、①一文中に②各「ので」のあいだに結果をともなうことなく③繰り返し使用する文章のことです。

例を下にみっつ記します。

  • 彼には好き嫌いがあるので、ホルモンが食べられないので、ホルモン鍋も食べることができない。
  • あそこは危険なので、入ってはいけない場所なので、近づかないでおくことにした。
  • 彼女はお金がないので、一緒に遊びに行くことができないので、友達がいなかった。

 

気持ち悪い

常々、こういった文を見かけるたびに気持ち悪いと感じていました。

その理由はなんとなく頭の中にあったのですが、整理するためにも一度文に起こしておこうと思います。

 

ちょっと脱線して、ここで自分のことを説明します。

僕はどちらかというと、「言葉は相手に通じるように適切に選ぶことができていれば良い」と考えているタイプの人間です。

つまり、「いつも正しい文法で(話さ/書かれ)なければならない」だとか、逆に「多少崩れていても、それでわからないほうがおかしい」だとかいう言説には、どちらにも同意しません。

相手に通じるように適切に選ぶことが大切なのであって、文法的に正しい言葉遣いが必要な場面ではそれを選択し、そうする必要のない場面では多少フォーマルな言葉遣いから崩れていても問題ないと考えます。

それがため、過度な言葉狩りは嫌いですし、文法的におかしな日本語で書かれているWebメディアのこともまた、嫌っています。

 

脱線終わり。

 

「〜ので、〜ので」が気持ち悪い理由

ここから本題に入ります。

 

理由が来ると思ったら来ないこと

文を読んでいて「〜ので」が来ると、心の中に「次には結果が来るんだな」という構えができます。

 

しかし、「〜ので、〜ので」の場合には結果が来ず、しかも結果ではなく追加の新しい理由が来ます。

この心構えが裏切られたときの、リカバリのためにかかる頭の中の動きが無駄で、気持ち悪いのです。

 

イメージしてもらいやすくするため、僕の頭の中での動きを表現します。

僕の頭の中には、「理由が入る箱」と「結果が入る箱」各ひとつずつのセットが、文章を読んできた積み重ねによって作られています。

 

①「〜ので」を見たとき

→ 「〜ので」の前までを、理由が入る箱に入れる。さらに結果が入る箱を用意する。

②次の「〜ので」を見たとき

→結果が来なかったので、脳内が慌てる。理由が入る箱を空けようとして、さっきまで入っていた理由をいったん消し、文を読み直す。

③「〜ので、〜ので」の存在を確認する

→「〜ので、〜ので」を「〜で、〜ので」に置き換え、ふたつを合わせて理由が入る箱に入れておく。

④結果を見たとき

→ここで文意がやっと理解できる。

 

例文ひとつ目の「彼には好き嫌いがあるので、ホルモンが食べられないので、ホルモン鍋も食べることができない。」に当てはめて説明しますと、

①「〜ので」を見たとき

・理由が入る箱:彼には好き嫌いがある

・結果が入る箱:空

次の「〜ので」を見たとき

・理由が入る箱:空(削除)

・結果が入る箱:空

「〜ので、〜ので」の存在を確認する

・理由が入る箱:彼には好き嫌いがあり、ホルモンが食べられない

・結果が入る箱:空

結果を見たとき

・理由が入る箱:彼には好き嫌いがあり、ホルモンが食べられない

・結果が入る箱:ホルモン鍋も食べることができない

 

これがもし「彼には好き嫌いがあり、ホルモンが食べられないので、ホルモン鍋も食べることができない。」だったとしたら、文中に「〜ので」はひとつしかないので、理由の箱には最初から、「彼には好き嫌いがあり、ホルモンが食べられない」が入ります。

つまり、上の流れの③と④だけで終わるのです。

 

それを僕が読み慣れていない「〜ので、〜ので」で書かれているがため、すんなり理解することができず、気持ち悪い。

 

もし「〜ので、〜ので」を苦手とする理由がこれだけなのであれば、僕が慣れていないというだけのことですので、慣れるための努力をしたことでしょう。

しかし理由はこれだけではありません。

 

続くほうの「〜ので」が、理由であって結果でもあるように読めること

ふたつ目の例文の「あそこは危険なので、入ってはいけない場所なので、近づかないでおくことにした。」について考えていきます。

 

  1. あそこは危険
  2. 入ってはいけない場所

このふたつの理由は、両方が「近づかないでおくことにした」にかかっているのでしょうか。

  1. あそこは危険 → 近づかないでおくことにした
  2. 入ってはいけない場所 → 近づかないでおくことにした

 

それとも、「あそこは危険」だから「入ってはいけない場所」で、「入ってはいけない場所」だから「近づかないでおくことにした」なのであって、「あそこは危険」だから「近づかないでおくことにした」ではないのでしょうか。

 

  1. あそこは危険 → 入ってはいけない場所
  2. 入ってはいけない場所 → 近づかないでおくことにした

 

 

もし、意味だけにしたがって読めば、上記のパターンはいずれもが不十分だということが読み取れます。

  1. あそこは危険 → 入ってはいけない場所・近づかないでおくことにした
  2. 入ってはいけない場所 → 近づかないでおくことにした

「あそこは危険」だから「入ってはいけない」し、「近づかないでおくことにした」のですから。

 

しかしながら、文法だけにしたがって読んだとき、「〜ので」はひとつの結果しか伴いません(少なくとも、僕はそういう読み方に慣れています)。

そのため、「あそこは危険なので、」から「入ってはいけない場所」と続くと、「あそこは危険なので、」はその後の二つ目の結果である「近づかないでおくことにした」には結びつくことができないのです。

 

この差異で、脳内に混乱が起きます。

最近ではさすがに読み慣れてきたので、脳が勝手に「〜ので、〜ので」を「〜で、〜ので」と読み替えていますが、最初から「〜で、〜ので」と書いてある文章のほうがその手間がなく、読みやすいと感じます。

 

最初から「〜で、〜ので」などと記載すれば良いものを、なぜわざわざ「〜ので、〜ので」と書き、読み手の理解に混乱を招くのでしょうか。

僕にはそこが理解できないので、慣れるための努力ができないのです。

 

 

以上です

このふたつが、僕が「〜ので、〜ので」を読むことを苦手としている理由です。

 

ところで何人かの読者は、「え?みっつ目の理由はないの?」と思いませんでしたか?

「例文はみっつあって、理由の中でふたつまで引用されたんだから、理由もみっつあると思った」のであれば、その違和感は、僕が「〜ので、〜ので」に対して感じているものに近いものです。

 

また何人かの読者は、「この記事を書いてる人、なんでわざわざ『ひとつ』『ふたつ』『みっつ』って平仮名で書くんだろう。『1つ』『2つ』『3つ』や『一つ』『二つ』『三つ』のほうが短いし、視認性も良いのに」と思うかもしれません。

それもまた僕が「なぜわざわざ」と感じている違和感に近いものです。

 

 

もし「〜ので、〜ので」に慣れるべき理由があれば知りたいので教えてください。