なぜですか

書きたいと思ったことを書きます

表現の仕方の違い La differenza in come esprimere

鉛筆でなら、上手く絵を描く自信がある。人が描いた鉛筆の絵も、見ればよく理解することができるし、間違いを正すことも容易にできる。

しかし、ボールペンで絵を描くことのほうが世の中の主流になりつつある。世間にはとっくにボールペン人口のほうが多いし、ボールペンで描かれた絵を理解することで得られる情報も多く、新しくなってきている。

もちろん、鉛筆でもボールペンでも絵は描ける。しかし可能な表現が少し違う。

 

33歳で、今までまったく触れたことのない言語を覚えてみて、やっとわかったことがある。何かを言うということは、何かを表現するということだということ。当たり前のことだし、理屈はわかっていたけれど、理解できてはいなかった。

中学高校と英語を勉強する。しかし、それはただ日本語文と英語文の対応を暗記するだけのもので、何かを表現するための勉強ではなかった。自分にとっての初めての外国語学習がそのまま自分にとっての外国語になったので、つまり外国語は何かを表現するためのものというよりは、暗記するためのものだった。

だから、日本語で話すということと外国語で話すということが、じつは同じ行為なんだということを知らなかった。そのどちらも、言語になる前のものを表現することなんだと。それは感覚や思想や意思や関係であって、ある言語でまた別の言語を表現するということではない、ということがわかっていなかった。

 

誰と誰であっても、それが同じ人間同士なら、そういった言葉になる前のものたちは、共通している部分が多い。だから空腹な人間のうち、日本語話者は「おなかがすいた」と言うし、英語話者は「I'm hungry」と言うし、イタリア語話者は「Ho fame」と言う。たぶんそれがために、「おなかがすいた」イコール「I'm hungry」イコール「Ho fame」なんだと勘違いしていた。でも実際には違う。この場合なら空腹感だけが共通していて、言葉はイコールではない。

きっと自分が気付くのが遅いだけで、これは一般的な感覚なんだと思う。