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本を読む理由

コミュシルというサイトで以下の記事を読んだのをきっかけに、あらためて「本を読む理由」について考えました。

commusiru.jp

今の自分が「本を読む理由」

2017年の夏ごろ、仕事で使うこともあり、日本語の文法についての考え方や、校正・編集の方法について知る必要が出てきました。このとき自分は毎週のように神保町へ出向き、古本屋の新書コーナーなどで日本語関連の書籍を買い求め、古本が出回っていない書籍については新刊本屋やWebの通販を利用したり、人に借りたり、kindle形式の書籍などを購入したりして、ひたすら読むことで知識を得ていました。

つまり、今の自分にとっての「本を読む理由」は、「知りたいから」だといえそうです。

ただし、例えば海に潜ってみたときや、苦労して山に登って朝焼けを見たときなどの、実際に自分で体験して、自分の感覚を通して知るべきであろう実感については、「本を読んで得よう」という気にはなりません。他人によって書かれた本の中には、その人の知らないはずのことである自分の実体験について書かれているはずがありません。著者の実体験についてや、著者に限らない一般的な物事が書かれています。だから正しくは、「一般的な物事や、もしくは著者の感覚を通した経験について知りたいから」本を読むのだといえるのだと思います。

無意識での選択

では、「一般的な物事や、もしくは著者の感覚を通した経験について知りたい」と感じたとき、どうして本を手に取るのでしょうか。世の中には本以外にも知識の仕入先はあります。さらに本の中にも、漫画本や絵本、新書、辞書など多くの種類があります。それらの選択肢の中から、自分は無意識に本を、書籍を選択していました。なぜでしょうか。

それは、本でその知りたいという欲求が解消されるということを、あらかじめ知っていないとできないことです。本を選ぶからには、これまでの人生のいずれかの時点で、そのことを学習しているに違いありません。

「知りたい」のはじまりのころの自分

1987年、当時2〜3歳だったころの自分が何かについて「知りたい」と思ったとき、「本を読もう」とはおそらくはなりませんでした。当時は書籍を自分で読むことも難しく、また何か新しい物事を教えてくれるのはほとんどの場合両親だったので、自然に「両親に教えてもらおう」となったと思います。そこで彼らに「なんで?」と質問し、欲求を解消していました。

絵本も読んだり読みかせてもらったりはしていたのですが、自分にとっての絵本は絵を見る目的が第一のものであって、知識はそのついでに得られるものという位置づけだったのです(たぶん)。また絵本は、タイトルなどから得られる知識の内容を予測しにくいように思います。もし目的を持って絵本を読んだとしても、セレンディピティな知識との出会いはあれど、おそらく本来の目的には到達しにくいでしょう*1

両親への質問から、書籍へ

かつて質問を繰り返していたところから、どうして本に、とくに書籍に、知識を得るための方法が変わったのでしょうか。それは自分の場合、2種類の本との出会いが助けになっていたように思います。つまり、図鑑と昔話集です。

図鑑は、ほとんどの場合タイトルと内容が一致しています。「鳥」というタイトルの図鑑なら鳥が載っていますし、「動物」であっても同様に動物だけが載っています。いきなり自動車について触れられてはいません。また、図鑑は図が豊富に載っているため、見慣れていた絵本の形式と似ていることから精神的なハードルが低く、「本には一般的な知識が体系立てて掲載されている」という意識に、スムーズに移行できたような気がします。

昔話集は、まずそれがどういう形式の本かというと、100話あまりの昔話が、見開き1ページの中央に絵、その周囲にお話の文、というフォーマットで書かれているものでした。とても絵本に似ているのですが、文の量が比較的多く、また漢字もふりがな付きで豊富に載っていました。母親の五十音教室を卒業してすぐの自分には少し荷が重かったような気もしますが、語彙が増えるにつれて少しずつ読解できるお話も増え、そのことが文を読むことの楽しさに拍車を掛けていたように思います。

この2種類の本を足がかりにして、だんだんと読める本の種類が増えていったように思います。

本を読んでもらうには

しばしば子らの親たる人々が、「子どもに本を読ませたい」と言っているのを耳にします。なぜでしょうか。そして、どうしたらいいのでしょうか。

自分の持っている本を読む理由に照らし合わせると、「一般的な物事や、もしくは著者の感覚を通した経験について知ってもらいたい」から、要するに「賢くなってもらいたい」または「人の気持ちのわかる人になってもらいたい」からなのでしょう。もし理由が明確で、読ませたい書籍の形式までがはっきり決まっているのなら、それに向かって、成長に合わせた段階を踏んだ種類の本を与えていき、慣れていってもらうのが良いのではないかと思います*2

自分の場合は、絵本からいきなり児童書へ移行しようとして、一度失敗しました。それは、「絵を見る」経験から「文を読む」経験に移行するにあたって、文の量が多すぎたことや、そもそも内容に興味が無かったことなどが関係しているのではないかと思います*3

「活字を追いたい」という欲望

最後に。

とくに何かを知ることを目的とせず、ただ印刷された文字を読みたいと思うことがあります。他の人が言っているのを見ることがあるので、凡そ一般的な欲求なのかと思っていますが、ピンとこない人もおそらく多いでしょう。本に向き合っている静かな時間が好きだったり、文意を汲み取るときの脳内のはたらきが好きだったり、脳内で音読する声が好きだったり、人によって理由は様々なのではないでしょうか。

自分は文字を見ると落ち着くことが多いので、頭の中がいっぱいいっぱいになったときなどに活字を追いたくなります。とくに、文の流れに無理がなく、文法的に大きな誤りがなく、誤字脱字のない文章を読んだときには、まるで良い音楽を聞いたときのような心地よさを覚えます。

ということは自分の場合、「知りたいから」以外にも、「心地よさを求めて」本を読んでいるのかもしれません。

*1:そして自分の中でのこの位置づけには、今では漫画がいるような気がします。

*2:絵本→図鑑→昔話集のような短文…というように

*3:その本のタイトルは覚えてるんですが、未だに読んでいません