「食べ始まる」考
先日、こちらの新書を読んだんです。
- 作者: 荒川洋平
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/08/19
- メディア: 新書
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その中に、以下のような記述がありました。
不思議なことに終わりの局面では「終わる」「終える」と両方の補助の動詞が使えるのに、始まりの局面では「食べ始める」は言えても、「食べ始まる」とは言えません。
たしかに著者の仰る通りで、「食べ始まる」はふつう使わない。この記事はそれがなんでやねんという話です。明確な答えが書いてあるわけではないのでお気をつけください。
「終わる」「終える」、「始まる」「始める」の違い
「終わる」は、ラ行五段活用の自動詞で、「終える」はア行下一段活用の他動詞。 「始まる」は、ラ行五段活用の自動詞で、「始める」はマ行下一段活用の他動詞。 どちらのペアも意味はほとんど同じどうしで、それぞれ物事の終了と開始を意味する動詞ですが、他動詞のほうが、それのかかる主体にとって意識的に終了・開始を行っているニュアンスが含まれています。例えば「そろそろ試合が始まる」の場合は他の誰かによって開始の合図があるように思われますが、一方で「そろそろ試合を始める」の場合は話者自身によって試合が始められるように思われます。
これだけなら、「食べ終わる」のように「食べ始まる」を使っても何の問題もないように思えてきます。念のため、辞書の上では意味も確認してみましょう。太字のものは、自動詞・他動詞いずれにもある意味です。
終わる
- 1 続いていた物事が、そこでなくなる。しまいになる。済む。
- 2 (「終わった」「終わっている」の形で)廃れる。人気が衰える。
- 3 (「…におわる」「…でおわる」などの形で)期待された結果が得られないまま、それが最後の状態になる。
- 4 動詞の連用形に付いて、動作・作用が完結する意を表す。…しおわる。…てしまう。
- 5 しまいにする。終える。
- 6 生命が尽きる。死ぬ。
終える
- 1 続けてきたことを済ませる。終わらせる。
- 2 続いてきたことが終わる。
終わる・終えるは、終わるがより大きな意味を持ち、終えるを内包しているような関係(終わる⊂終える)になっています。
始まる
- 1 物事が行っていない状態から行う状態になる。行われだす。
- 2 新しく起こる。新たに発生する。
- 3 起因する。起源をもつ。
- 4 いつものくせが出る。
- 5 (「…ても始まらない」の形で)むだだ。手遅れだ。しようがない。
始める
- 1 物事を行っていない状態から行う状態にする。行いだす。
- 2 新しく起こす。新たにつくる。
- 3 いつものくせを出す。
- 4 (動詞の連用形などに付いて)その動作が行われだすことを表す。
始まる・始めるについてもほとんど同様で、始まるが始めるを内包する関係のようにも、部分共通のようにも思えます。これを見ても、「動詞+終わる」が言えて「動詞+始まる」が言えないのは、いささか不釣り合いな気がします。
言い換えて考えてみる
「食べ終える」は「食事を終える」に、「食べ終わる」は「食事が終わる」に言い換えることができます。同様に以下のように言い換えてみましょう。
- 「食事を終える」(食べ終える)
- 「食事が終わる」(食べ終わる)=「食事を終わる」
- 「食事を始める」(食べ始める)
- 「食事が始まる」(食べ始まる)=「食事を始まる」
こうして並べてみても、やはり「食べ始まる」はなんらおかしくないどころか、むしろ「始まる」を他動詞として「食事を始まる」と用い、その言い換えとして「食べ始まる」を使えないことのほうがおかしく感じられてきますよね。今こそ「食べ始まる」を使い始まるに相応しい時期なのかもしれません。
こういった変化には違和感があるかもしれませんが、かつて「大き(い)」の対義語として「小さな」しか無かった時代に、語尾の据わりを良くするために「大きな」「小さい」を発明し、これまで使ってきたように、こういった後からの発明はおかしなことではないはずです。
いざ使ってみる
ということで、今日から「動詞+始まる」の布教活動を始めようと思います。それを使うシチュエーションを考えてみましょう。
「食べ始まる」の場合
A「(電話がかかってくる)はい。Bさん?いつ帰ってくるの?」
B「もうすぐ帰るよ。みんなは晩ご飯もう食べた?」
A「ううん、ちょうど食べ始まるところだよ」
違和感があるかもしれませんが、最後の文を同じ自動詞の「うん、もう食べ終わるところだよ」にすれば違和感がありません。ということは、使い慣れてくれば「食べ始まる」も違和感が薄れてくるのではないでしょうか。とはいえ、これはもし「食べ始める」でもおかしくない、というのもその通りです。同様に「もう食べ終わるところ」が「もう食べ終えるところ」だったとしてもおかしくはないですが、何か独自の使い方を見つけたいところですね。
「歌い始まる」の場合
A「ライブ、まだ始まらないのかな?」
B「あ、見て。バンドの人が出てきたよ」
A「お、もうすぐ歌い始まるね」
この場合、「歌い始まる」ほどではありませんが、「もうすぐ歌い始めるね」にも少し違和感があります。「名詞+が+始まる」で「歌が始まるね」だとそこまで違和感はありませんが、「動詞+始まる」で同じ表現ができても不都合はなさそうです。
なぜ「動詞+始まる」を使わないのか
ここまで見てきた通り、「動詞+始まる」は文法的にもおかしなところはありませんし、使おうと思えば使うこともできそうな用法でした。しかし、使われていません。なぜでしょうか。答えが明確にあるわけではないですが、予想してみましょう。
他の表現で十分だから
上で見たように、「食べ始まる」は「食べ始める」(動詞+始まる)で十分ですし、「歌い始まる」は「歌が始まる」(名詞+が始まる)で十分伝わります。あえて区別する必要がなかったので、「動詞+始まる」が使われることもなかった可能性がありそうです。しかし、だとしたらどうして「動詞+終わる」と「動詞+終える」とが共存しているのか、という疑問が残ってしまいますね。
開始の感覚の問題
私たち日本人の無意識のなかには、『動作の開始はつねに意識的・自発的だから他動詞「始める」でしかありえないが、動作の終了は意識的・自発的である他動詞「終える」以外に、何らかの外的要因によって外発的に自動詞「終わる」こともありえる』という感覚があるのかもしれません。今でこそ「食べ終わる」「食べ終える」に大きな違いは無いものの、昔は内発的か外発的かによって使い分けており、一方で「始める」「始まる」にはその必要がなかったのではないでしょうか。
開始の責任の所在の問題
先程は動作の終了のほうに重きを置いていたのに対して、こちらは動作の開始に重きを置いた考え方です。動作を終了した人は誰であっても構わないから自動詞的な表現「動詞+終わる」が許されてきたが、動作の開始については誰が始めたのかを明確にするため、「動詞+始まる」が許されてこなかった、という可能性があるかもしれません。
結局答えは無いんですけど
ここまでに、いくつか可能性を挙げてきました。念のため以下におさらいします。
- 他の表現で十分だったから
- 動作の開始は主体的でしかありえないから
- 動作の開始は誰が行ったのか明確でなければならないから
結局のところ、このどれが正解なのか、またこれらのうちのどれでもなく、他に答えがあるのか、はたまたこれらのうちのいくつかが複合しているのか、わかりません(きちんと調べていないので)。でも、こういった日常的に見逃している不思議に、気付かせてくれる本と出会えたのは幸せだったなあと思っています。未読の方はぜひ一度読んでみてください。
それにしても、プロの言語学(日本語学)の方はこういった問題をどうやって追いかけているのでしょうかね。気になったので、このGWはそのへんの勉強をしてみたいと思います。