なぜですか

書きたいと思ったことを書きます

成人の日

18歳で成人と言われてもな

そう思っていることだろう。同じように筆者は20歳で成人と言われてもなと思っていた。法的な取り扱われ方が変わっても、具体的に生活の中で何かが変わるわけでもなかったし。

 

自分一人で満足に何かができるような社会的経験を積んでいるかどうか、あれからいくつになっても自信がない。そういう意味では18歳も20歳も37歳も違いは無い。親からの扱われ方も親に対する接し方もそう大きく変わらない。

 

しかし、法的な扱いが変わることは他人からの扱われ方が変わるということで、本人の思い以上に大きい変化だと言える。本人にどれだけ変わったつもりが無かろうと、周囲はきみを成人として扱うし、成人として利用しようとする。成人として「社会に出る」ということは、成人である他人を利用できる代わりに、成人である自分が利用されるということなんだろう。主体的に社会を利用して利用されるようになる日、それが成人の日で、きっとそれが成人式。

 

筆者は成人式に参加していないので、何が話されるのか知らないけど。

 

成人の日に何をしていたか

京都に三十三間堂というお堂がある。ここは長さが33間(約121メートル)で、その長さを利用して弓の名人たちが腕を競い合う場所として利用していた。1日のあいだに出来るだけたくさん弓を引くのだ。わかりやすい。片側からもう一方へ向けて、天井や軒を避けて矢を放ち、通すことができれば良い。

 

この「通し矢」と呼ばれる行事は江戸時代に始まり、和佐大八郎という人物が13,053本を引いて8,133本を通したのが最高記録だという。肩はいったいどうなってるんだろう。

 

これに因み、現在では成人の日に本堂の庭で60メートルの遠的大会が行われている。成人になる人は申し込めば参加することが出来るので、成人式が重なってしまった弓人は、成人式よりもこちらに参加することもある。

 

筆者もそうだった。もちろん13,053本を1日中引き続けるわけではないが、良い記念にはなったし、三十三間堂に不思議な親しみを覚えるようになったし、何かの区切りにもなったように感じた。きっと、最高記録を達成した和佐大八郎ほどではないが。

 

そういえば彼は、記録達成当時18歳だったそうだ。