なぜですか

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読書メモ:アリストテレス『弁論術』3

こちらの続きです。

mizunokura.hatenablog.com

説得推論と論理的推論

一読してよく理解できなかったので転記する。

ところで、言うまでもなく、技術の名に値する弁論術の研究は説得の方法に関わるものであり、一方、説得方法は一種の論証である(なぜなら、われわれが最も信を置くことができるのは、それが論証されていると解する時だから)、しかるに弁論術における論証というのは説得推論のことであり、それは、一口に言って、説得の中でも最も有力なものであるが、この説得推論も一種の推論であるし、また、推論の全般に亘ってくまなく考察するのは、全体か、それとも或る一部かはともかく、弁証術の仕事であるから ― それゆえ、弁証術における推論がどのような要素からどのように組み立てられるかを最もよく見究めることのできる者は、また、説得推論がどのようなものを対象にし、論理的推論と比べてどのような違いがあるか、この点の知識を手にする時には、説得推論についても最も精通した者になるであろうことは明らかである。なぜなら、真なるものを見るのも、それに似ているもの(おおよそ真なるもの)を見るのも、精神の同じ能力によるのであるし、同時にまた、人間は生まれつき真なるものを目指す素養を十分に備えており、ほとんどの場合、実際に真理を手に入れているのであって、したがって、一般に真と思われていること(おおよそ真なること)にうまく行き当たるのも、真理をうまく射当てることも、精神の同じような状態と言えるからである。(岩波文庫 アリストテレス『弁論術』26〜27ページ)

うーん難解だ。途中のハイフンのはたらきがよくわからないし、「それゆえ、」がどこまでにかかっているのかもよくわからない。試みに構造化しながら書き換えてみる。

  • ところで言うまでもなく、技術の名に値する弁論術の研究は説得の方法に関わるものである。
    • その説得の方法は一種の論証である。
      • なぜなら我々はそれが論証されていると理解するときにそれを信用するからだ。
  • 弁論術での論証とは説得推論のことである。
    • それは説得の中でも最も有力なものである。
    • これも一種の推論である。
  • 推論の全般にわたってくまなく考察することは、弁証術の領分である。
    • それゆえ、弁証術における推論がどのような要素からどのように組み立てられるかを最もよく見究めることのできる者は、説得推論の対象についてや、論理的推論との差異についての知識を手にしたとき、説得推論について最も精通した者になるだろう。
      • なぜなら、真なるものを見るのも、それに似ているもの(おおよそ真なるもの)を見るのも、精神の同じ能力によるからだ。
      • 同時にまた、人間は生まれつき真なるものを目指す素養を十分に備えており、ほとんどの場合、実際に真理を手に入れているからだ。
        • したがって、一般に真と思われていること(おおよそ真なること)にうまく行き当たるのも、真理をうまく射当てることも、精神の同じような状態と言えるからだ。

最後の3行とその前とのつながりがよくわからないが、それ以外はわかりやすくなった気がする。

「技術の名に値する弁論術」とは、要するに前説までの「当時の弁論家たちの書く弁論の技術書」で述べられている以外の弁論術のことだろう。それは説得の方法に関する技術であり、一種の論証である。弁論術においての論証とは説得推論のことを指し、一種の推論である。推論であるならそれは弁証術の領分である。そのため、弁証術における論証のエキスパートは、弁論術における説得の方法(説得推論)の対象や論理的推論との差異の知識を得たとき、説得推論のエキスパートにもなれるのは明らかである、ということだろう。

最後はこういうことだろうか。「弁証術における論証のエキスパートが、説得推論のエキスパートにもなれるのは明らかだ。」の理由説明として、弁証術が「真なるものを見る」こと、弁論術が「それに似ているものを見る」ことだとすれば、前者と後者は同じ精神の働きだからだと。そして真理探求の能力を人間は備えているので、弁論術の成果である「一般に真と思われていること(おおよそ真なること)にうまく行き当たる」ことと、弁証術の成果である「真理をうまく射当てること」とがやはり同じ精神の状態だと言えるということだと。

参照:読書メモ:アリストテレス『弁論術』 - なぜですか

こうしてまとめてみると少し理解できた気がする。この節を一読したのみでわかる人はいるんだろうか…。セクション名の「説得推論と論理的推論」のうち、論理的推論が弁証術での推論のことで、要するにこのセクションで言っているのは弁論術と弁証術での推論のことだということに気付くのは、初見では難しそう。前説は議会弁論と法廷弁論についての話だし。

説得推論(enthymēma)

説得するために行う推論のこと。巻末注によれば弁証術における演繹にあたるそうだ。

弁論術の有用性

「技術と呼ぶに値する弁論術」は以下の点において有用である。

  1. 悪しき弁論によって適正でない判定がなされるのは避けられるべきだから。
  2. 相手に真の正しさを悟らせるような厳密な学問的知識は、それを相手に教えることはできても、教わることを拒むような相手を説得することはできないから。
  3. 説得においては、問題を多角的に見て適正に判断することが求められるから。
  4. 言論をもって自分の身を守ることができないのは、恥ずべきことであるから。

「身体をもって身を守ることよりも、言論をもって身を守ることのほうがより人間に特有なことなのだ。」という主張になるほどと思わされた。

ここまでで第1章の序論が終わり。

  • これまでの弁論術はなぜダメか
  • この本で説明する弁論術は何が違うのか
  • 弁論術と弁証術とは何が違うのか
  • どういう人に向いてるのか
  • どうして今、弁論術なのか

こんな感じの内容だった。この構成、割と現代のハウツー本に似てるところがある。

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