なぜですか

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「ごめんなさい」は失礼か

「ごめんなさい」は目上の相手に使うべきではないという話をしばしば耳にする。

ある界隈では、「ごめんなさい」は目下に、「すみません」は目上に使うべきだとされているらしい。曰く「『ごめんなさい』の『ごめん』は許諾を、『なさい』は命令を意味するため、「許しなさい」という言葉に由来するからだ」ということらしい。

また別の界隈では、「ごめんなさい」はその場で謝って取り返しがつくようなことに対して使い、「すみません」はもうどうしようもないことに使うべきだとされているらしい。曰く「『すみません』は『もう謝っても済むことではありません』だから」ということらしい。

そんなこと考えて使ってる?

いずれも、文法や由来を理由に「使ってはいけない」「正しくはこう」というルールを説明しようとしている。しかし、普段私たちは、言葉を使う際に文法や由来など気にかけているだろうか。たとえば、「こんにちは」は「今日(こんにち)はご機嫌いかがでしょうか」の省略が由来*1なので、言われた相手は機嫌について答えなければならないなどと、考えたことがあるだろうか。自分はない。

また、「幸」の漢字はその由来が「手かせをされることを免れた人の姿」とも「男女の性交の様子」とも言われていて諸説あるが、はたしてそれと意識して使っているだろうか。幸子さんはそう意図して名付けられているのだろうか。決してそんなことはないはずだ。

「絆(きずな)」という言葉の由来(動物を繋いでおく綱)を持ち出してきて、「絆という言葉を使う人々のことが気に入らないと思っていたが、その理由がわかった」などという言説が Twitter において流れていたが、それについても、「絆」という言葉を使うその人々が「動物をつなぐ綱」だと意識して使っていない限り、そういった人々について嫌な感情を持つことと言葉の由来とはまったくの無関係であって、その「理由」は的外れだと言わざるを得ない。

大切なのは由来や文法ではない

つまり何が言いたいかというと、「使ってはいけない」「正しくはこう」と言いたい人がそう言ってしまうのは、文法的におかしいからとか、由来がどうこうだからではなく、単にその人にとって気に入らないからだということだ。その理由は様々だと思うが、言葉が耳慣れないように感じるということや、今までの習慣と外れるのが嫌だということ、その他に、言葉はともかくそもそも相手自体が気に入らないということもあるだろう。

いざ気に入らない他人の行動をやめさせたいが、ただ「嫌だからやめろ」と言うのでは、不服を唱えられたり、いかにも自分の権力を振りかざしているようで具合が悪かったりするのだろう。そこで初めて文法や由来が持ち出されてくる。文法や由来に照らし合わせることで、それが大勢のように思われてきて、相手の納得を得られやすいうえに、自分の直接さが目立たなくなる。姑息な(その場しのぎの)手段が利便性ゆえに常套化したのではないだろうか。

自分の目的を見誤るな

しかし言葉は決して、相手の行動を束縛したり、相手との関係性において優位に立ったり(マウントを取ったり)、攻撃したりするためだけに存在するのではない。言葉は道具であって、それが使われる際には使う人の伝えたい意図があるはずだ。

「ごめんなさい」は、単純な謝意であることが大半だ。もちろん言い方によってはそうではないこともある。しかし、それに由来や文法は関係ない。謝意以外のものを感じ取った際に言うべきは「ごめんなさいを使うな」ではなく、「不満があるなら言ってみて」や「心から謝ってほしい」であるはずだ。もしも相手の言葉に心からの謝意を感じたのであれば、素直にその気持ちを受け止めるべきだ。「ごめんなさいは、由来からしてふさわしくない」などと言うべきではない。

「絆」を使う人々に対して言うべきは「そんなに浅い関係性を、自分は絆と呼びたくない」ということであって、「絆という漢字は〜」といった、言葉狩りに繋がりかねないような持って回った講釈ではない。場合によっては素直に「お前らが気に入らない」と言うべきだ。

じゃあ「サーセン」でいいのかよ

だからといって、もし「気持ちがこもっていればいいなら、どんな言い方でもいいですよね」と感じたなら、それは自分本位が過ぎるように思う。たとえば「『ごめんなさい』の代わりに『サーセン』と言ったっていいじゃん」という気持ちは、はたして「ごめんなさい」で伝わるのと同等かそれ以上の謝意なのだろうか。意図が伝わるのなら、深く頭を下げて「サーセンした!!!!!」と言ってもいいとは思う。しかし「じゃあそれでいいじゃん」としてしまうのは、誠意の欠如が相手に伝わってしまうのではないだろうか。

言葉は一方が発信しただけでは意味がなく、受け取られて、理解されて初めて意味があるものだと思う。受信側の素直な受け取りや理解はもちろん必要だが、発信側にも、より意図が伝わりやすい言葉の選択が必要だ。「サーセン」と「ごめんなさい」とのどちらがより自分の意図が伝わりやすいか、考えるべきだと思う。

それをもって、もっと素直な世の中になればいいのに、などと思う、最近。

*1:もちろんこれにも諸説あります